AI時代のコンテンツ制作で人間に残る価値とは?「編集余地」という考え方

ブログ記事作成における編集余地 AI × コンテンツ

「このホテルの記事、どうもしっくりこない」

最近、ある旅行記事を作っていて、妙な違和感に引っかかった。

作っていたのは、ホテルの完全ガイドだ。

温泉、客室、食事、貸切風呂、子連れでの利用、周辺観光、日帰り入浴、花火。

読者が旅行を考えるときに役立ちそうな情報を整理していく。

文章も整っている。

情報も足りている。

それなのに、何度読み返しても「何か違う」と感じる。

最初は、情報が足りないのだと思った。

そこでAIとも対話しながら、何度か記事を編集してみた。

それでも、違和感は消えなかった。

ここで少し立ち止まった。

もしかすると、これは文章の問題ではないのではないか。

情報を増やしても、記事の価値は高くならない?

ブログの記事を改善するとき、私たちは「情報を増やす」という方向に考えやすい。

ホテルなら、

  • 客室
  • 温泉
  • 食事
  • 料金
  • 設備
  • アクセス
  • 周辺観光

などを詳しくする。

検索する人が知りたいことを網羅する。

もちろん、それ自体は悪くない。

完全ガイドなら、むしろ必要な作業だ。

ただ、今回やってみて分かった。

情報を増やせば、必ずコンテンツの価値が高まるわけではない。

情報を足していくほど、記事は整っていった。

しかし同時に、どこかで見たような「ホテル完全ガイド」に近づいていった。

文章としては悪くない。

必要な情報も入っている。

それなのに、書いている自分には面白く感じられない。

そこで、AIに聞いてみた。

AI曰く:「情報量」ではなく「編集」の問題かもしれない

「なぜ、このホテルの記事は何度編集してもしっくりこないんだろう?」

AIに、記事そのものだけではなく、これまでの編集過程も含めて考えてもらった。

返ってきた答えを整理すると、こういうことだった。

ホテルの客室、温泉、食事、設備、料金などは、ホテル側がすでに情報として整理している。

そこに第三者が情報を追加しても、公式情報の再編集になりやすい。

つまり、

文章を上手くすることと、独自の価値を加えることは別問題なのではないか。

なるほど。

これは確かにそうかもしれない。

でも、ここでまた引っかかった。

「じゃあ、他の観光記事はどうなんだ?」

同じ旅行記事でも、編集できる余地が違う

別の観光記事を見返してみた。

例えば、ひまわり畑のようなイベントなら、実際に訪れた時期によって開花状況が違う。

混雑も違う。

天候も違う。

会場で何を見るかも違う。

海浜公園なら、潮の状態や天候、生き物との出会い、子どもの反応など、実際に行ってみなければ分からないことがある。

同じ「観光記事」でも、対象によって違う。

そこで、ふと思った。

違うのは、記事を書く能力だけではないのではないか。

そもそも、

対象そのものに「編集できる余地」がどれだけ残っているのか。

ここが違うのではないか。

「編集余地」という言葉が生まれた

そこで初めて、自分の中に一つの言葉が浮かんだ。

編集余地。

対象について、

  • どこを切り取るか
  • 何と何を組み合わせるか
  • どの視点から見るか
  • どんな価値として読者に提示するか

を、人間がまだ変えられる余地。

それを、ひとまず「編集余地」と呼んでみることにした。

ホテルのように、設備やサービスがかなりパッケージ化されているものは、公式情報だけでも対象の輪郭がかなり決まっている。

一方で、祭りや公園のように、その時の状況や体験によって見え方が変わるものには、まだ解釈できる部分が多い。

もちろん、

編集余地が大きいものほど、必ず優れたコンテンツになる

と言いたいわけではない。

そうではなく、

「何を書くか」の前に、「その対象には何を編集できる余地が残っているのか?」

と考えてみる。

この視点が、今回の制作で初めて出てきた。

AI時代のコンテンツ制作では「編集」が重要になる

ここで、もう一度AIについて考えた。

生成AIは文章を書くのが上手い。

情報を整理するのも上手い。

比較したり、構成を作ったり、読者の疑問を想定したりすることもできる。

だからこそ、今回のホテル記事では面白いことが起きた。

AIと何度も記事を検討するほど、文章は整っていった。

でも、整えば整うほど、一般的な「ホテル完全ガイド」に近づいていった。

AIが文章を書けなかったのではない。

むしろ逆だった。

合理的に編集した結果、最も無難で完成度の高い記事へ収束していった。

「ホテルについて詳しく、分かりやすく説明してください」と言われれば、客室、温泉、食事、料金、アクセスなどを整理する。

それは正しい。

しかし、その正しさの中に、

「なぜ、このホテルをこの切り口で語るのか」

という人間側の編集がどれだけ残っているのか。

そこは別の問題だ。

AIが書けるようになったからこそ、人間の「違和感」が重要になる

AIによってコンテンツ制作のコストが下がるほど、「文章を書く能力」そのものの価値は変わっていくと思う。

以前なら、文章を上手に書けること自体が一つの技能だった。

今は、AIにかなりのところまで書いてもらえる。

では、人間には何が残るのか。

今回の経験から考えると、

  • 何を見るか
  • 何に違和感を持つか
  • 何と何を比較するか
  • どこに編集余地があると考えるか
  • まだ言葉になっていないものに、どんな名前を付けるか

といった部分なのではないかと思う。

つまり、文章を書く前の「観察」と「編集」の重要性が高まっていく。

「編集余地」と不確実性には関係がある?

ここでもう一つ、気になることがある。

編集余地の大きさと、不確実性には関係があるのではないか。

祭りなら、

「今年はどうだったのか」

という不確実性がある。

公園なら、

「実際に行ったら何が起きるのか」

という不確実性がある。

天候、混雑、季節、生き物、子どもの反応。

最初から完全には決まっていない。

だから、そこに一次体験や観察が入り込む。

ただし、

「編集余地=不確実性」ではない。

不確実性は、編集余地を生みやすくする一つの要素なのだと思う。

逆に、情報がかなり固定され、公式側ですでに完成された形で提示されている対象は、単純な情報再編集では独自性を作りにくい。

今回のホテル記事は、そのことを考えるきっかけになった。

それでも、編集余地が少ない記事を公開してみる

ここで、さらに面白い問題が出てきた。

もし本当にホテルという対象に編集余地が少ないのなら、この記事を書くのをやめればいい。

合理的に考えれば、それで終わりだ。

でも、今回はそうしないことにした。

なぜなら、

「編集余地が少ない」という判断そのものが、まだ仮説だからだ。

自分が面白くできないと思ったからといって、本当に誰にとっても価値がないとは限らない。

検索する人にとっては十分役に立つかもしれない。

自分には見えていない切り口があるかもしれない。

だったら、記事にして公開してみればいい。

そして市場に聞いてみればいい。

読まれるのか。

検索されるのか。

他の記事と一緒に読まれるのか。

そこから何かが見えるかもしれない。

コンテンツを作ることは、仮説を市場に投げること

今回、「編集余地」という言葉が生まれた。

ただし、これはまだ理論ではない。

一つの記事制作から生まれた、自分なりの仮説にすぎない。

それでも面白いと思っている。

なぜなら、AIによってコンテンツ制作のコストが下がるほど、

「何を書くか」より「何をどう見るか」

の重要性が上がっていくように思えるからだ。

情報を集める。

整理する。

文章にする。

それだけなら、AIがかなりやってくれる。

だからこそ、人間側には、

「なんか変だ」

という最初の違和感が重要になる。

今回も、始まりは「ホテルの記事がなんか変だ」という、かなり曖昧な感覚だった。

そこからAIと話した。

AIの答えをそのまま受け入れず、別の記事と比較した。

そして、今まで持っていなかった「編集余地」という言葉が出てきた。

AIが答えを出したというより、

AIと考えているうちに、自分の中にあったけれど言葉になっていなかったものが見えてきた。

そんな感覚に近い。

コンテンツの価値は「情報量」だけでは決まらない

今回の経験から、今のところ一つの仮説を持っている。

コンテンツの価値は、情報量だけでは決まらない。

その対象について、

どれだけ観察できるか。

どれだけ考えられるか。

どれだけ違う切り口を発見できるか。

そして、

どれだけ自分なりに編集できる余地があるか。

そこにも価値があるのではないか。

AI時代になると、情報を集めて分かりやすく整理することは、ますます簡単になる。

だからこそ、

「何を書く?」

ではなく、

「今日は何に引っかかった?」

から始めてみる。

その違和感をAIに投げてみる。

AIの答えに反論してみる。

別の事例と比較してみる。

そして、まだ名前のない何かを見つける。

今回の「編集余地」も、そうやって生まれた。

ブログは、情報を並べる場所だけではない。

もしかすると、

自分の違和感を起点に、まだ見えていない価値を探す実験場

なのかもしれない。

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