最近、ブログについて少し考え方が変わってきた。
きっかけは、**「1万記事」**という数字だった。
1万記事。
普通に考えれば、とんでもない数字だ。
1日1記事なら約27年。
1日3記事でも約9年。
1日5記事でも約5年半かかる。
もちろん、実際のブログ運営では毎日同じペースで書く必要はない。
それでも「1万記事を書く」というのは、数か月や1年で終わる副業ではない。
10年単位で考える仕事になってくる。
そしてAIとブログについて考えていくうちに、私は「ブログはもしかすると、自分が探していたものにかなり近いのではないか」と思うようになった。
ブログ1万記事はどれくらい難しいのか
まず、AIにかなり単純な質問をしてみた。
「1万記事で月40万PVを集めているブログはどれくらいあるのか?」
AIの回答は、かなり厳しいものだった。
AI曰く、1万記事を保有している個人・メディア系ブログの中で、月間40万PVを達成しているブログは非常に希少だという。
さらに、1万記事を書き上げた個人ブロガー自体が極めて少ないという。
もちろん、「上位○%」「0.01%以下」といった具体的な数字については、公開された統計で厳密に確認できるものではない。
だから、その数字そのものを事実として受け取るつもりはない。
でも、このAIとの対話から、私は別のところに引っかかった。
それは、
そもそも、1万記事まで書き続けられる人がほとんどいないのではないか?
ということだった。
ブログは誰でも始められる。でも、記事を書き続けるのは難しい
ブログは、始めるだけなら簡単だ。
サーバーを借りて、WordPressを入れて、記事を書けばいい。
でも、そこからが違う。
記事を書くには、
- テーマを決める
- 調べる
- 情報を整理する
- 構成を考える
- 文章を書く
- 読みやすく直す
- 画像を用意する
- 内部リンクを考える
- 公開する
- アクセスデータを確認する
といった工程がある。
そして、また次の記事を書く。
これを何百回、何千回と繰り返す。
AI曰く、ブログには、
「誰でも始められる」のに、「まともに運用を続けられる人が少ない」という非対称性がある。
という。
これは、かなり面白い指摘だと思った。
ブログの参入障壁は、WordPressを立ち上げることではない。
記事を書き上げ、それを継続すること自体が参入障壁になっている。
「ブログは儲からない」と言われる理由
ブログは儲からない。
そういう話は昔からある。
でも、本当にブログというビジネスモデルそのものに価値がないのだろうか。
むしろ、
利益が出るところまでコンテンツを積み上げられる人が少ない。
という構造なのではないか。
記事を書く。
アクセスが来ない。
収益もほとんどない。
それでも記事を書く。
またアクセスが来ない。
ここでやめる。
これは、ある意味では当然だと思う。
ブログは、最初に時間と労力を支払って、成果を後から受け取るビジネスだからだ。
しかも100記事書いたからといって、成功するとは限らない。
テーマ選びを間違えることもある。
検索需要がないこともある。
競合が強すぎることもある。
記事を書いても検索されないこともある。
だからブログは、
始めることは簡単なのに、積み上げることが難しい。
そんな少し変わったビジネスなのかもしれない。
AIでブログ記事の制作コストは下がった
ここでAIが入ってくる。
以前なら、記事を書くための調査、情報整理、構成、下書きなどにかなりの時間が必要だった。
今はAIにかなり手伝ってもらえる。
ただし、AIに全部書かせればいいという話ではない。
むしろ重要なのは、
人間がテーマを選ぶ。
AIと調査する。
情報を整理する。
人間が判断する。
読者に理解できる文章にする。
という分業だと思う。
AIによって、「文章を書く」という作業の一部が高速化された。
その一方で、
何を書くのか。
何を残すのか。
どう構造化するのか。
どこに自分の経験や判断を入れるのか。
といった部分の重要性はむしろ増している。
つまりAI時代のコンテンツ制作では、単純な執筆速度だけではなく、認知と編集の使い方が重要になってくる。
1万記事を「文章の数」ではなく「検索への入口」と考える
ここで「1万記事」という数字を、別の角度から考えてみた。
1万記事を、単純に
「1万回、長い文章を書く」
と考えると途方もない。
でも、
「1万個の検索可能な情報単位を、自分のサイトに蓄積する」
と考えると、意味が変わってくる。
例えばアニメなら、作品そのものだけではない。
各話。
キャラクター。
車。
技。
用語。
名場面。
結末。
考察。
視聴方法。
関連作品。
一つの作品から、検索される可能性のある情報単位はいくらでも生まれる。
旅行なら、観光地、交通、ホテル、料金、体験、準備、失敗談などがある。
ドラマや俳優なら、人物、作品、役柄、インタビュー、来日、出来事、感想などがある。
つまり記事は、単なる「文章」ではない。
検索需要に対する入口でもある。
1万記事というのは、その入口を1万個作るということになる。
もちろん、1万記事あれば自動的にアクセスが増えるわけではない。
価値のないページを大量に作ればいいわけでもない。
検索意図があり、読者が読める形になっていて、サイト全体として意味のある構造になっている必要がある。
だから重要なのは、
1万記事を書くことそのものではなく、1万記事を生産できる仕組みを作ること。
なのだと思う。
1万記事までの現実的な道筋を考えてみる
では、本当に1万記事を目指すなら、どうするのか。
「毎日3記事を10年間」という計算だけでは、あまり現実的ではない。
必要なのは、記事数が増えるにつれて、自分自身の生産能力も上がっていく設計だと思う。
まず100記事。書き方を覚える
最初の100記事は、量そのものよりも「記事を完成させる能力」を身につける期間。
テーマ選定。
検索意図。
タイトル。
見出し。
本文。
画像。
内部リンク。
公開。
アクセス確認。
この一連の流れを、自分の型にしていく。
100記事を書くことによって、初めて「記事を書く」という作業の全体像が見えてくる。
次の1,000記事。生産ラインを作る
1,000記事になると、1記事ごとにゼロから考えていたら続かない。
ここからは、
テーマ → 調査 → 構成 → 執筆 → 画像 → 公開 → 検証
という工程をテンプレート化する。
AIにも役割を持たせる。
調査を補助してもらう。
情報を整理してもらう。
構成案を作ってもらう。
文章を読みやすく整えてもらう。
画像制作を補助してもらう。
人間は、テーマ選定と判断、経験、最終編集に集中する。
ここで初めて、「記事を書く」から**「記事を生産する」**へ変わってくる。
3,000記事。サイト全体を設計する
3,000記事あたりからは、個別記事だけを見ている場合ではなくなる。
カテゴリー。
関連記事。
内部リンク。
シリーズ記事。
検索意図の重複。
過去記事の更新。
サイト内の導線。
こうしたサイト全体の構造が重要になってくる。
1記事を作るだけではなく、
「このテーマについて、サイト内に何が足りないのか?」
という視点で次の記事を決める。
記事数が増えるほど、サイトそのものがデータベースに近づいていく。
5,000記事。量産ではなく「資産運用」になる
5,000記事まで来ると、新規記事だけを書き続けるのではなくなる。
過去記事がある。
アクセスデータもある。
検索順位もある。
クリックされる記事もある。
ほとんど読まれない記事もある。
ここからは、
新規記事を作ること
と、
既存記事を育てること
の両方が仕事になる。
どの記事を更新するのか。
どの記事同士をつなぐのか。
どの記事を統合するのか。
どの記事は役割を終えたのか。
つまり、コンテンツ制作が「労働」から少しずつ資産運用に変わっていく。
10,000記事。記事を書くこと自体が目的ではなくなる
そして1万記事。
ここまで来ると、「1万記事書く」という目標そのものよりも、
1万記事が存在することで何が起きるのか
を見る段階になる。
検索入口がどれだけあるのか。
どのテーマが強いのか。
どの記事がPVを生んでいるのか。
どの記事が収益につながっているのか。
サイト全体でどんな検索需要をカバーできているのか。
そして、10年間のデータから次のテーマをどう決めるのか。
1万記事はゴールというより、巨大なコンテンツ資産を運用するための新しいスタート地点なのかもしれない。
AI時代のブログは「量」と「読みやすさ」の両方が必要になる
ここで、今回の話を少しシンプルにしてみたい。
結局、ブログで必要なのは何なのか。
私は、
調べる。
考える。
読める形にする。
公開する。
この小さな工程を、何千回でも回せることではないかと思っている。
AI曰く、
「調べて、考えて、読める形にして、公開する」という小さな工程を何千回でも回せる人間が、最終的に巨大な検索資産を持つ。
という。
これはかなり腑に落ちた。
ブログというと、「文章力」の勝負に見える。
でも実際には、
調査力 × 構造化 × 文章化 × 継続 × 改善
の複合戦なのかもしれない。
そしてAIによって、この生産サイクルそのものを高速化できるようになった。
ブログ運営は10年単位の長期戦になる
ここまで考えると、ブログの時間軸が変わってくる。
「1年で結果を出す」
「3か月で収益化する」
「100記事で成果を出す」
そういう考え方だけではなく、
「10年間、コンテンツを積み上げる」
という時間軸が見えてくる。
10年後に何記事あるかは、実は結果なのかもしれない。
重要なのは、
10年後にも記事を書いている状態を作れるかどうか。
そのためには、記事を書く速度を上げるだけでは足りない。
調査方法を改善する。
AIとの対話方法を改善する。
構成のテンプレートを作る。
内部リンクを整える。
検索データを見る。
当たった記事と外れた記事を比較する。
そして、また次の記事を書く。
そうやって、コンテンツを生産する仕組みそのものを改善していく。
1万記事の先にあるのは「コンテンツ資産」なのかもしれない
もし10年間ブログを続けて、数千、あるいは1万の記事が蓄積されたら。
それは単なるPVを稼ぐサイトではなくなるかもしれない。
10年間調べてきたこと。
考えてきたこと。
観察してきたこと。
自分が実際に体験したこと。
AIと議論してきたこと。
それらが全部、記事として残る。
そう考えると、ブログは「広告収入を得るための媒体」というだけではない。
自分の知的活動を外部化して蓄積するシステム
とも考えられる。
そして、そこからPVが生まれれば収益になる。
記事からアフィリエイトが発生すれば、さらに収益になる。
つまり、
知的活動
↓
コンテンツ
↓
検索流入
↓
PV
↓
収益
という循環ができる。
これは結構面白い。
ブログは「聖杯」なのか
私は、非対称性を帯びた活動や事業を聖杯と呼んでいる。
これはレイ・ダリオの著書にある言葉をそのまま借用したものだ。
もちろん、ブログを聖杯と呼ぶのはまだ早い。
1万記事を書いたから成功する保証もない。
10年続けたから儲かる保証もない。
検索環境も変わる。
AIによって検索そのものも変わる。
それでも、私はブログというものを少し違う目で見るようになった。
ブログの強さは、「誰でも始められること」ではない。
むしろ、
誰でも始められるのに、長期間積み上げ続けるのは難しい。
そこにあるのではないか。
AIによって記事制作の一部が高速化されたことで、人間が払っていた「書くコスト」の構造も変わりつつある。
だから今後は、
何記事書けるか
だけではなく、
何年、コンテンツを生産し続けられるシステムを維持できるか
が重要になるのかもしれない。
1万記事は、10年単位の大仕事
1万記事。
今の私にとって、それは単なる目標数字ではなくなってきた。
10年単位で取り組む、大仕事の入口なのかもしれない。
でも、考えてみれば面白い。
10年後に1万記事があるとしたら、その1万記事は単なる「記事数」ではない。
10年間の調査。
10年間の試行錯誤。
10年間の観察。
10年間の思考。
そして、10年間AIと一緒に考えてきた記録でもある。
そう考えると、ブログは単なる副業ではなくなる。
自分の知的活動をコンテンツに変換し、それを長期間蓄積していく仕組み。
私にとってブログは、もしかすると、そんなものなのかもしれない。
