前回の記事で、「編集余地」という言葉について考えた。
AIによって情報収集や文章作成が簡単になっていくほど、人間には「何を見るか」「どこに違和感を持つか」「どう編集するか」といった部分が残るのではないか。
そんな話だった。
でも、AIとブログについて考えているうちに、また別の問題にぶつかった。
じゃあ、人間はどこまで考えればいいんだろう?
記事を書くたびに、毎回すべてを自分で考える必要があるのだろうか。
それとも、AIにかなり任せてもいいのだろうか。
この問いをAIに投げてみた。
すると、話が少し妙な方向へ進み始めた。
- AIと人間の役割分担ではなく「認知投入量」を考える
- ブログ記事によって必要な思考量は違う
- AI曰く:「認知コストを変数にしてみればいい」
- AIを使ったブログ制作を「実験装置」にする
- AI曰く:「市場に、人間の頭をどれだけ使うべきか聞いてみる」
- 一次情報とAI編集の組み合わせは、かなり機能する
- 一次情報がないテーマでは、AIとの協働が難しくなる
- 一次情報がないなら、AIとの分業そのものを設計する
- 「認知コストを下げる」と「考えなくなる」は違う
- AI曰く:「重要なのは、認知コストあたりの市場価値」
- AIは認知資源の配分効率を上げる装置なのかもしれない
- 「思考で銭を稼ぐ」という話につながってくる
- AIによるコンテンツ制作で、まだ答えは出ていない
- AI時代に「考えること」は安くなるのか
- 「自分の頭を、どこに使うか」
AIと人間の役割分担ではなく「認知投入量」を考える
「AIに記事を書かせるのと、人間が記事を書くのでは、どちらがいいんだろう?」
そんな問いから始めた。
でも、AIとの対話を続けていると、どうもこの問い方そのものが違う気がしてきた。
AI曰く、
「AI記事 vs ヒト記事ではなく、人間の認知コストと記事の深度を調整して、市場がどの水準で反応するかを測る実験として考えたほうが面白い」
なるほど。
確かにそうだ。
AIを使うか使わないかを二択にする必要はない。
例えば、
AIに情報を集めてもらう。
AIに情報を整理してもらう。
AIに構成を作ってもらう。
AIに文章を書いてもらう。
そのうえで、人間が必要なところだけ考える。
あるいは、逆に人間が深く考え、AIには補助役をやってもらう。
つまり問題は、
AIを使うかどうかではなく、人間がどれだけ認知資源を投入するか。
そう考えると、ブログ制作の見え方が変わってきた。
ブログ記事によって必要な思考量は違う
例えば、とあるロボットアニメの3話のあらすじを知りたい人向けの記事がある。
検索者が欲しいのは、
「この話って何が起きたんだっけ?」
という程度かもしれない。
そこに4時間かけて作品構造を分析して、登場人物の心理まで深掘りしたとしても、検索者はそこまで求めていない可能性がある。
一方で、
「なぜこのキャラクターは、この場面でこういう行動を取ったのか?」
という検索なら話が違う。
そこには解釈の余地がある。
比較もできる。
自分なりの仮説も立てられる。
つまり、同じ「アニメの記事」でも、必要な思考量が違う。
ここで、またAIに聞いてみた。
AI曰く:「認知コストを変数にしてみればいい」
AI曰く、
「どの程度の認知投入が、どの程度の市場価値を生むのかを測ればいい」
と言う。
なるほど。
だったら、やってみればいい。
例えば、かなり大雑把に、
L2:低認知コスト
AIを中心に使う。
情報を集める。
整理する。
構成する。
文章にする。
人間はファクトと最終的な内容を確認する。
制作時間は短い。
L4:中認知コスト
AIにかなり任せる。
ただし、人間が検索意図を確認し、情報を選び、構成を調整する。
必要なところには自分の判断を入れる。
L6:高認知コスト
人間がかなり考える。
AIと何度も対話する。
情報を組み合わせる。
独自の仮説を立てる。
作品やテーマを構造的に分析する。
制作時間は長くなる。
こんな感じだ。
そして、それぞれの記事を市場に出す。
AIを使ったブログ制作を「実験装置」にする
例えば、
| 認知投入 | 制作時間 | PV | CTR | エンゲージメント |
|---|---|---|---|---|
| L2 | 20分 | 60 | 6% | 中 |
| L4 | 1.5時間 | 70 | 7% | 中 |
| L6 | 4時間 | 80 | 8% | 高 |
だったらどうだろう。
4時間かけた記事が一番いい。
でも、20分の記事とそれほど差がない。
だったら、
「俺が4時間かけて考える必要ないじゃん😂」
となる。
逆に、
| 認知投入 | 制作時間 | PV | CTR | エンゲージメント |
|---|---|---|---|---|
| L2 | 20分 | 20 | 3% | 低 |
| L4 | 1.5時間 | 100 | 8% | 中 |
| L6 | 4時間 | 200 | 12% | 高 |
となったら、
今度は、
「どうやら、この市場では深く考えることに価値があるらしい」
となる。
ここで初めて、人間の思考にどれくらい価値があるのかを測れる。
AI曰く:「市場に、人間の頭をどれだけ使うべきか聞いてみる」
この言い方が、妙に気に入った。
市場に、自分の頭をどれだけ使うべきか聞いてみる。
普通、ブログを書くときには、
「良い記事を書こう」
と考える。
だから、時間をかける。
調査する。
推敲する。
画像を作る。
構成を練る。
もっと情報を追加する。
でも、それが本当に必要なのかは分からない。
検索者が欲しいものより10倍深い記事を書いているかもしれない。
逆に、検索者が求めているものに対して、考える量が足りないかもしれない。
だったら、記事を市場に出して反応を見る。
そして次の記事で調整する。
そう考えると、
「良い記事を作る」という発想そのものが少し変わってくる。
一次情報とAI編集の組み合わせは、かなり機能する
実は、この考えに至った背景には、一次情報を持って記事を書くブログでの経験がある。
そこでは、自分が実際に経験したことや見たもの、撮った写真など、一次情報を持っている。
そこにAIを編集工程として入れる。
情報を整理する。
構成を考える。
文章を整える。
抜けを探す。
SEOを確認する。
そして、人間が最後に判断する。
この方法なら、かなり低い認知コストで記事を作れる。
しかも、実用上問題ないレベルまで持っていける。
ここで一つのことが分かった。
AIは、人間がすでに持っている情報を編集するのがかなり得意だ。
では、一次情報を持っていない場合はどうなのか。
そこで、別のテーマを扱うブログで実験を始めた。
一次情報がないテーマでは、AIとの協働が難しくなる
そこで扱っているのは、例えば自分が直接体験していない作品やテーマだ。
自分がその作品を作ったわけでもない。
登場人物を実際に知っているわけでもない。
その場面を自分が体験したわけでもない。
つまり、一次情報を持っているブログとは条件が違う。
ここでは、
検索市場を見る。
検索クエリを見る。
検索結果を見る。
競合記事を見る。
作品情報を調べる。
AIに情報を整理してもらう。
そこから記事を作る。
つまり、
AIに何をさせるか、そのものを設計しなければならない。
ここで「認知コスト」の問題が出てきた。
一次情報がないなら、AIとの分業そのものを設計する
一次情報がある場合、
人間が情報を持っている → AIが編集する
で済む。
しかし一次情報がない場合、
市場 → 情報 → AI → 人間 → 記事
という複雑な工程になる。
ここでは、人間が全部調べる必要もない。
かといって、AIに全部任せればいいとも限らない。
AIが情報を集め、整理し、文章にする。
その結果、非常に整った記事ができる。
でも、その記事が本当に検索者の欲しいものなのかは別問題だ。
ここでも、前回の「編集余地」という話が出てくる。
AIに任せるほど、記事制作は効率化する。
しかし、人間がどこで編集するかによって、記事の意味が変わる。
「認知コストを下げる」と「考えなくなる」は違う
ここは結構重要だと思っている。
AIを使うと、考えなくてよくなる。
そう思っていた時期もあった。
でも、実際には少し違う。
AIを使うことで、
「自分が考える必要のない部分」を切り離せる。
これが大きい。
例えば、100個の情報を集める。
全部を自分で読む。
比較する。
分類する。
文章にする。
そんな作業を全部人間がやる必要はない。
AIにやらせればいい。
その代わり、
「この情報は重要なのか?」
「この切り口で本当に検索者は満足するのか?」
「そもそも、この検索需要を狙う意味があるのか?」
という部分に頭を使う。
つまり、
認知コストを下げることは、思考を放棄することではない。
むしろ、
思考する場所を選ぶこと
なのかもしれない。
AI曰く:「重要なのは、認知コストあたりの市場価値」
ここまで話したところで、AIがまた一段抽象化してくれた。
AI曰く、
「重要なのは、記事の品質そのものではなく、認知投入量に対してどれだけ市場価値を生み出せるか」
とのこと。
これを聞いて、少し笑った。
なんだかブログの話ではなくなってきた。
でも、確かにそうだ。
例えば、
4時間かけて100PVの記事を作る。
20分で50PVの記事を作る。
PVだけなら前者が勝っている。
でも、認知投入量まで考えれば話は違う。
20分の記事を同じ方法で12本作れば、4時間で600PVになる。
もちろん、そんな単純な計算にはならない。
市場も違う。
記事の寿命も違う。
収益性も違う。
それでも、
「1記事の価値」だけではなく、「認知資源1単位あたりの市場価値」
を見るという発想は、かなり使えそうだ。
AIは認知資源の配分効率を上げる装置なのかもしれない
ここまで来ると、自分が以前から考えていた「認知資源」という話にもつながってくる。
人間が一日に使える集中力には限界がある。
仕事にも使う。
投資にも使う。
読書にも使う。
家族にも使う。
創作にも使う。
もちろんブログにも使う。
だったら、
全部の記事に全力投球する必要はない。
むしろ、
「この記事には20分」
「この記事には1時間」
「これは4時間かける価値がある」
と配分する。
そして、AIには人間の認知資源を使う必要がない部分をやってもらう。
そうすると、AIは単なる文章生成ツールではなくなる。
認知資源の配分効率を上げる装置
として見えてくる。
「思考で銭を稼ぐ」という話につながってくる
ここまで来て、自分が何をやろうとしているのか、少し分かってきた。
別に、
「AIを使ってブログで稼ぐぞ!」
という話ではない。
「AIで記事を大量生産してPVを稼ぐぞ!」
という話でもない。
もっと単純な話だった。
自分の思考を、どうやったら市場価値に変換できるのか。
これを試している。
ブログは、その実験場になっている。
考える。
AIと対話する。
違和感を見つける。
仮説を立てる。
記事にする。
市場に投げる。
検索順位を見る。
CTRを見る。
読まれ方を見る。
そして、また考える。
この循環の中で、
「この程度の思考で、このくらいの市場価値が生まれた」
というデータが蓄積されていく。
それなら、結構面白い。
AIによるコンテンツ制作で、まだ答えは出ていない
もちろん、ここまでの話もまだ仮説だ。
L2の記事が本当にL6の記事より効率がいいのか。
人間の編集量を増やせば、本当にCTRやエンゲージメントが上がるのか。
一次情報がないテーマでも、AIとの協働によって検索者が納得する品質を作れるのか。
そもそも、検索市場によって最適な認知投入量は違うのではないか。
まだ分からない。
だから、実験する。
しばらくこの方向で記事を作ってみるつもりだ。
記事ごとに、
どれくらい考えたか。
どれくらいAIに任せたか。
どんな検索意図を狙ったか。
そして、
市場がどう反応したか。
を見る。
AI時代に「考えること」は安くなるのか
AIによって文章は簡単に作れるようになった。
情報も整理できる。
調査もできる。
比較もできる。
だから、人間の価値がなくなるという話はよく出てくる。
でも、最近は少し違う見方をしている。
AIによって、
「考えること」そのものが安くなる
というより、
「考えるべき場所を選べるようになる」
のではないか。
情報整理に4時間使っていた人が、AIによって20分で済ませられる。
その浮いた時間で、
「そもそも何を調べるべきなのか」
を考える。
あるいは、
「この情報とあの情報を組み合わせたら、何が見えるのか」
を考える。
つまり、
人間の認知資源を、より上流へ移動させる。
それがAIとの付き合い方なのかもしれない。
「自分の頭を、どこに使うか」
前回の記事では、
「今日は何に引っかかった?」
から始めるという話を書いた。
今回は、その先にもう一つ問いが増えた。
「そこに、自分の頭をどれだけ使うべきか?」
全部使う必要はない。
全部AIに任せる必要もない。
20分でいいところに4時間使う必要はないし、4時間考える価値があるところを20分で済ませる必要もない。
だから、
認知コストを調整する。
AIに任せる。
自分で考える。
またAIに投げる。
必要なら深く潜る。
そして、市場に出してみる。
もしかすると、AI時代のコンテンツ制作で重要になるのは、
「どれだけ上手にAIを使えるか」
だけではないのかもしれない。
自分の限られた認知資源を、どこに投入すれば市場価値が最大になるのか。
それを考えられること。
そして、その答えを市場に聞いてみること。
今のところ、自分はこれをやってみたいと思っている。
ブログを書いているつもりだった。
でも、いつの間にか、
自分の思考そのものを市場に値付けしてもらう実験
をやっているのかもしれない。
さて。
20分の自分と、4時間の自分。
いったい市場は、どちらを買ってくれるんだろう。
